尾鷲市の三木埼遺跡ガイドツアー体験記 森に眠る廃村の記憶を辿る
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尾鷲市
三重県尾鷲市には、約100年前に廃村となった集落がある。
尾鷲市街から車で約25分にある三木浦町から、さらに徒歩で森の中を約2時間ほど歩いた先に廃村となった集落 元盛松(もとさがりまつ)があります。
当時の面影を残した集落を前にすると、時が止まったような不思議な感覚へと誘われます。本記事では、三木埼グリーンツーリズムのガイドさんにご案内をいただき、三木埼遺跡ウォーク「元盛松コース」を巡った体験をレポートします。
三木埼遺跡ウォーク「元盛松コース」とは
(三木埼遺跡ウォークがまとめられたパンフレット)
三木埼遺跡ウォーク「元盛松コース」は、昭和2年(1927年)から3年にかけて、住民全員が三木浦へ移住して廃村となった集落を巡ります。
(掲載マップの左側「太地→盛松」の赤線を辿る)
ツアールートには苔むす静寂な森や圧巻の大海原の景色から、
- 炭焼き窯
- 棚田跡
- 猪垣
- 海蔵寺跡
- 住居屋敷跡
- 石の共同水槽
- 鏡神社跡
- 船着き場跡
などの当時の面影を残すスポットを訪れ、集落の歴史を遡る体験ができます。
ツアーガイドさんのご紹介
今回、ご案内をいただいたのは三木埼グリーンツーリズムの三鬼研二さん(以下、研二さん)。
研二さんは20代の頃に上高地のホテルや北アルプスの山小屋で働き、北アルプスを縦走登山で踏破。ネパールでエベレスト街道を回り、パーミッション(許可)なしで登れる世界最高峰の山(5,500m)を登頂しました。その後、山に高さを求めるのではなく、楽しむことを目指します。
-研二さん「里山や熊野古道とか、そういうのが好きなんです。」
(キャプション 整備ツアーの様子(整備の様子はこちらの映像から https://www.youtube.com/watch?v=R83d_lUy_R4 ))
奥さんの早織さんとの出会いを機に尾鷲市三木浦に移住し、現在、御夫婦で「泊まれる茶屋 織屋」を営まれています。そして移住をきっかけに、東紀州の山々を訪れてその魅力に引き込まれ、御縁が繋がって元盛松の整備をしながらツアーガイドを担っています。
元盛松集落跡に向けて出発!
三木埼遺跡ウォーク「元盛松コース」の所要時間は、往復約5時間(休憩・ランチタイム含む)で、標高は高くて約150m。見どころが多いため、足を止める時は通常のハイキングに比べて多くなります。
もちろん、ハイキングや登山のお約束!
- 長袖・長ズボンの動きやすい服装
- スニーカーなど歩きやすい靴
- タオル
- 水分や食料
- 天気予報のチェック
- 熊よけの鈴など音が鳴るもの
等をしっかり準備して臨みましょう。※.携帯の電波は途中から繋がりません。
(まずは太地(タージ)を目指します!)
一言では語りきれない三木埼遺跡ウォーク「元盛松コース」。読者が疑問に思っているポイントに触れておきましょう。
Q1.盛松は何で「さがりまつ」って読むの?
A.集落にある海蔵寺には、垂れ下がった枝が特徴の松の木があります。そこから「下松(さがりまつ」と呼ばれるようになりました。その後、「下がる」は縁起が悪いことから「盛(さかる)」の字に置き換えられました。
Q2.元盛松の「元」って?
A.現在、廃村となった集落は「元盛松」と呼ばれています。その理由は集落から現在の三木浦に集団移住した際に、移住先を盛松(現在はコノハ地区)と呼ぶようになりました。そのため、元の集落の場所は元盛松と呼ばれるようになりました。
※.本記事では混乱を避けるため廃村集落を「元盛松」で統一しています。
Q3.何で廃村になったの?
A.土地が限られ27軒しか家が建てられなかった元盛松集落。周辺地域に電気が通り始めた時代、電力を集落に通すには莫大なお金が必要になりました。限られた土地の中、これ以上、集落が大きくなる見込みは低いことからも、三木浦町の「コノハ」地区に集団移住を決断し、集落は時を経て廃村となりました。
太地(たーじ)から元盛松にたどり着くまで編
元盛松へ続く道は、三木埼ツーリズムさん達の手で整備していただいているおかげで、危険な箇所はほぼありません。ただし、設置された看板や道しるべとなる木に巻かれた色テープだけでは、迷ってしまうポイントもあります。
-研二さん「山菜を取る人も多くて、自分用に色テープやロープをつけている箇所もあるので注意が必要です。」
なるほど..前を歩く研二さんの背中がとても頼もしいです。
そうこうしてスタート地点から約20分、多少の起伏を乗り越えてジンワリと汗をかいてきた頃、森の中に何やら気になる建造物が見えてきました。
ノスタルジックな遺跡「炭焼き窯」
-研二さん「これは100年以上前からあった炭焼き窯です。集落が廃村になった後も、しばらくは使われていました。ここまで綺麗に残っているのは珍しく、貴重なものなんです。」
山には備長炭の原料 ウバメガシが多く自生しています。記録によると昭和20年頃くらいまでは炭焼き窯が現役で使われてたそう。石垣にまとわりついたツルや木の根が木漏れ日で照らされて、つい魅入ってしまいました。
シダ群生に面影を残す「水田跡」
炭焼き窯から徒歩1分のところには太地の水田跡があります。
-研二さん「ここは田んぼだったんですよ。奥に棚が13段くらいあって、さらに奥に水源があります。水が引きやすかったんですよね。」
田んぼは今回のツアーでは訪れない東の集落「頼母(たのも)」の人々が管理していました。収穫されたお米は魚などとの物々交換で、元盛松の人々の生活を支えていたそうですよ。
ぐるりと敷地を囲む石積み「猪垣(ししがき)」
水田跡を訪れると、他にも気になる光景が広がっていました。それは水田跡の回りを囲むように積まれた石の姿です。「猪垣(ししがき)」と呼ばれる石積みは、猪の侵入を防ぐ役割を果たしていました。猪垣は水田跡以外だけでなく、集落跡でも同様にグルっと周りを囲むように広がっています。
◯◯◯の追い込み漁をしていた!?「太地浜(たーじはま)」
水田跡と猪垣を後にして、谷筋の小川を辿りながら森を約10分ほど下っていきます。視界に煌めく海の景色が広がったところで、苔むした石に注意を払いながら慎重に小川を渡りました。
太地浜に到着です。太地と聞いて、和歌山県の太地町を連想された方は..なかなか鋭い感性をお持ちです。太地町といえば、クジラ!そう、ここ太地浜ではクジラの追い込み漁をしていた場所だったそうです。
-研二さん「岸から湾の中の方まで行くと、水深は30〜40mぐらいあるんですよ。」
昔はクジラを獲るところを「たーじ」と呼んでいたそう。湾の奥を眺めながら、当時のクジラの追い込み漁の光景を想像してしまいました。
道幅や植樹された杉、ふさふさの苔にご注目
太地浜から元きた道を少し戻りながら、ここから峠(標高は約150m)ゾーンに突入します。約40分程度の登りになりますので、水分補給をしながらゆっくりと進んでいきます。峠に続く道からは植樹されたヒノキの姿が目立ってきます。
-研二さん「昔は頑張って植樹をされていたんですけれど、今となっては木を切り出す林業は商売が成り立たなくなりました。」
植樹された木や原生林の姿から、森の植生を見ながら歩くことも元盛松ツアーの見どころです。
ふと、地面に目を移すと、石の上でモッサリと生い茂った苔を発見しました。あまり人が通らない道だからこその自然の姿が、ここにはあります。
峠ゾーンの途中にある三叉路にて、目に見えて道幅が広くなりました。何とここは当時、元盛松の子どもたちが三木浦の小学校に通った通学路だったそうです。
※.詳しい内容は記事の後半「元盛松の子どもが歩いた通学路編」で紹介します。
当時の元盛松を振り返る生活遺跡編
峠を登り切ると開けた場所に出ました。ここからは元盛松まで一気に道を下っていきます。
道沿いから青々と煌めく海の景色を眺めて、息を整えます。ちなみに行きと帰りで日の光が移り変わることで、美しい眺望の変化を楽しめますよ。
スタート地点から休憩をとりながら約2時間弱、目的地である「元盛松 集落跡」に到着しました。
(三木埼ツーリズムが開催した整備ツアーで綺麗になった場所)
集落には時の経過を感じさせる立派な石垣の通路が目立ち、家や畑の跡が残る敷地があります。
-研二さん「石垣の間には隙間があります。雨が多い地域でしたので、水が隙間から流れて溝へ落ちる仕組みになっているんです。」
明治7年(1874年)の戸籍簿によると、元盛松には27戸126人の人々が暮らしていました( 参照:三木埼遺跡ウォーク パンフレット)。集落は奥地地区と下地地区に分かれています。明治3年の「平民苗字許可令」によって、誰もが苗字を名乗ることを許された際、奥地地区の方は「奥地(おくじ)」、下地地区の方は「下地(しもじ)」を名乗りました。そのため、元盛松出身の方は奥地さん、下地さんしかいないそうです。なるほど、勉強になります。
海蔵寺へと続く階段の様子。写真の奥には元盛松の名前の由来となった「老松の大木」があります。
こちらが老松の大木です。
-研二さん「実は100年前の集落には、こんなに木は生えていなかったんです。移住した際に、植樹をしたんですね。ですので、おそらく松の木は集落のシンボルとして、もっと目立っていたはずなんです。」
元盛松集落跡を訪れた際は、杉やヒノキが生えていない姿を想像するのが当時の光景に思いを馳せるポイントです。
こちらが海蔵寺跡。海蔵寺の寺子屋では、子供たちが小学校3年生まで授業を受けていたそうです。
石垣から生える木々の姿。生活遺跡だからこその特別な景色を目の当たりにして、息を飲みます。その一方で、植樹された木々が遺跡に根を張って壊していく姿に何とも言えない寂しさも覚えます。
元盛松イチのお屋敷「庄屋屋敷跡」にお邪魔しました。入口の立派で綺麗な石積みから、風格が伝わってきます。
屋敷跡には、瓦や石の土台が残っています。
-研二さん「家の部分だけ解体して浜へ運び、大きなカツオ船などで運んだそうです。」
研二さんの案内で、さらに住居跡がよくわかるお家へ移動します。
住居跡にお邪魔すると、ポッカリとした空間がありました。
-研二さん「このあたりが炊事場だったんじゃないかなと思います。上の水源から水を引っ張ってきています。」
こちらは、炊事場の場所で撮影されたとされる昭和2年3月当時の写真です。
確かに白黒写真の場所と目の前の場所が重なります。写真撮影当時(昭和2年)から約100年の時を刻んだ場所が目の前に広がっていると思うと、感慨深いものがあります。
こちらは下地地区の共同炊事場の様子。
集落唯一のお店の跡地には空き瓶の姿がありました。空き瓶でピンときた方は鋭い感性をお持ちです。そう、集落唯一のお店は..酒屋さんだったそうです。
熊野灘の絶景を臨む ゴロタ浜でランチ休憩編
元盛松集落を下る道は、広大な海へと繋がっています。船着き場の看板を見つけました。
船着き場の看板周辺には「鏡神社跡」があります。四角い石の土台の上には石の鳥居があった場所です。
(鏡神社から移された石の鳥居 三木浦の三木神社にて)
鏡神社跡にあった石の鳥居は三木浦の三木神社に移され、現在に引き継がれています。
こちらがゴロタ浜の様子。熊野灘の圧倒的なスケール感と、ゴロゴロとした白くて丸い大きな石が目に飛び込んできます。
(磯場に立つ研二さん。絵になります。)
足元に注意しながら磯場を進むと、岩に空いた四角穴があります。
-研二さん「この穴に木の杭を差して、船を係留していたんですね。」
湾内ではないため、打ち付ける波が飛沫を上げています。ロープで距離を保ちながら係留された船の姿を想像しました。
出発から約3時間経ち、ここでランチタイムです。リズミカルに響く波の音に耳を傾けながら、疲れた身体にエネルギーを補給しました。
帰りは特別に船に乗船!元盛松の子どもが歩いた通学路編
(ゴロタ浜のゴロゴロとした石の上をちょっと散策)
ランチ休憩後は、元来た道を戻っていきます。ゴロタ浜から元盛松集落を抜ける道は登りが続きますので、身を引き締めます。
ゴロタ浜を出発して約1時間程度で、記事前半で触れた峠ゾーンの途中にある三叉路に到着しました。道幅が広くなった通学路だった道です。スタート地点の太地浜・三木浦方面ではなく、二又池(池)の方へ下っていきます。
(二又池へと続く道)
-研二さん「ここを下ると三木浦の湾につながります。昔は船渡しのおじいちゃんがいて、子ども達はこの道を歩いてから船で学校に通っていたんですよ。」
子どもたちが通学した道は、今は歩く人がいなくなったことで石畳には鬱蒼とした苔が生えていました。
この石畳を踏みしめながら、子どもたちが元盛松から学校に通っていた…ちょっと今では想像できません。
森を抜けて、二又池に到着しました。ゴロタ浜の外海と比べると、改めて三木浦の湾内の穏やかさに気付かされます。何とも言えない安心感が心地よいです。
研二さんが連絡をとり、ガイドツアーで連携する漁師さんが迎えにきてくれました。まるで漁師さんは船渡しのおじいさん、僕らは元盛松から通学してきた小学生の気分です。
船に乗り込んで、ゆっくりと湾を進んでいきます。船の目の前に広がる景色は、元盛松から移住した集落「コノハ」地区です。
スタートから約5時間。数百年の時を遡る貴重な体験ツアーのゴールを迎えました。
ゆったりとした時間が流れる三木浦のスポット紹介
三木埼遺跡ウォーク「元盛松コース」を終えた後は、尾鷲市三木浦町を散策していきましょう。
以下にご紹介するスポットは、全て三木浦町にあって徒歩で巡ることができます。
三木浦マリンパーク
透明度の高い海と白い砂浜が特徴の人工海水浴場です。海を覗くと、小魚の群れがユラユラと泳いでいました。打ち寄せる波の音に癒やされます。
三木神社(みきじんじゃ)
鏡神社の石の鳥居が移された場所として紹介した三木神社。正面の石の鳥居は三木神社のもので、鏡神社の鳥居は階段の上にあります。水産業が盛んな三木浦町で、大漁や海上安全を守る神社として鎮座しています。
(三木神社では海で手を洗います。)
尾鷲市三木浦町のお土産を買って帰ろう
(三木浦の燻製屋 マルスイ海産 三鬼さんの燻製場の様子)
燻製、鯛、マグロ!三木浦町を訪れた際には、せっかくなので気になるお土産物を手に入れましょう。
紀州地魚 燻製屋「マルスイ海産」の燻製商品
三木浦町のマルスイ海産さんでは、主に地魚を使った燻製を作っています。燻製には地元の桜やウバメガシを使用。ソウダカツオやサバなどの地魚に加えて、店主自慢の卵の燻製といったラインナップが揃い、薫香豊かで味わい深い逸品となっています。
(マルスイ海産さんの外観)
店名 | 紀州地魚 燻製屋 マルスイ海産 |
住所 | 三重県尾鷲市三木浦町267 |
電話番号 | 0597-28-2955 |
公式Webサイト | https://marusuikaisan.wixsite.com/marusuikaisan ※.筏釣り屋さんも営まれています。 |
尾鷲・鯛の専門店「めでたい屋」の鯛商品
鯛養殖が盛んな三木浦町で、数多くの美味しい鯛の商品を製造・販売されているのが尾鷲・鯛の専門店「めでたい屋」です。鯛出汁のつゆや鯛味噌、お茶漬けなどの豊富なラインナップの中でも人気なのが、鯛めしころりんシリーズです。冷凍庫から取り出し袋に切れ目を入れて、電子レンジで 1分半温めるだけで美味しく食べられますよ。
(めでたい屋さん外観)
店名 | 「めでたい屋」の三和水産 |
住所 | 三重県尾鷲市三木浦町339 |
電話番号 | 0597-28-2336 |
公式Webサイト | https://owase-medetaiya.com/ |
公式SNS | https://www.instagram.com/medetaiya555 |
マグロ漁船「長久丸」のマグロ商品
「尾鷲もちもちマグロ」で人気のマグロ漁船「長久丸」さんは、三木浦を代表する企業です。新鮮な天然マグロの商品が揃っています。解凍するだけで食べられる長久の漬けマグロは、その名の通りご自宅で手軽に「尾鷲もちもちマグロ」を食べられる逸品です。ゴマダレの風味とマグロの身が口の中で合わさって、熱々のご飯をかき込む。たまりません。
(係留された長久丸さんの船)
店名 | 長久丸冷蔵 |
住所 | 三重県尾鷲市朝日町2-1 ※.本社は三木浦町 |
電話番号 | 0597-25-2100 |
営業時間 | 9:00~17:00 (土・午前中のみ/日祝・休) |
公式Webサイト | https://chokyumaru.stores.jp/ |
公式SNS | https://www.instagram.com/chokyumaru_reizo/ |
尾鷲市三木浦町の宿泊・拠点
ガイドツアーや元盛松の整備をされている三木埼ツーリズムさんは、三木浦町にある2つのお宿さんが主体となっています。
三木埼遺跡ウォークに挑戦する際、せっかくなので日帰りではなく三木浦町に宿泊されるのではいかがでしょうか?
泊まれる茶屋 織屋
「泊まれる茶屋 織屋」さんは、1日1組限定の体験付き貸切宿です。美しい三木浦の風景を眺めながら、地域の魅力を味わえますよ。
店名 | 泊まれる茶屋 織屋 |
住所 | 三重県尾鷲市三木浦町428-1 |
電話番号 | 070-4481-9432 |
公式Webサイト | https://oriya-mikiura.jimdofree.com/ |
公式SNS | https://www.instagram.com/oriya.mikiura/ |
三木浦ゲストハウス
「三木浦ゲストハウス」さんは昭和レトロな古民家を改装した1日1組限定の宿泊施設です。眼前に広がる海の景色は、いつまでも見ていられます。時間を忘れて、海辺の隠れ家でゆったりとしたひとときを過ごせますよ。
店名 | 三木浦ゲストハウス |
住所 | 三重県尾鷲市三木浦町514-103 |
電話番号 | 080-9119-3765 |
公式Webサイト | https://mikiura.com/ |
ガイドの目を通すからこそ見える、記憶の景色
かつての暮らしの跡が残る元盛松集落。風化した石垣や静寂な森に包まれながら歩くことで、当時の人々の営みが感じられました。しかし、ただ歩くだけでは、この地の本当の物語に気づくことはできません。
ガイドの案内があるからこそ、集落の歴史や人々の想い、土地の特性までもが鮮やかに浮かび上がります。歴史を残し、語り継ぐ人がいるからこそ、当時の記憶は風化せず、今も私たちの前に蘇る。そして、訪れた人の心の中に時が深く刻まれていきます。
記憶の通訳者であるガイドと共に、ぜひ三木埼遺跡「元盛松」を訪れてみてください。
◯三木埼グリーンツーリズム・尾鷲市三木埼遺跡公式Web https://mikisaki.jpn.org/index.html
(ライター:濱地 雄一朗 さん)